美ら島の学芸会

ヒルズ南風原

2013年09月20日 09:14

 こんにちは、たのし荘です。


写真は、姪っ子が六年生の学芸会です。

沖縄戦を描いた演劇をやっていました。

沖縄戦では県民の4人に一人が命を落としています。 小学生が学芸会で演じるには、重すぎる題材ですが、沖縄の子供達は、幼いころから沖縄戦について学びます。私も小さい頃から、平和記念公園へ連れてかれたり、平和討論会をさせられたりしていました。

私が子供の頃には、まだ道端に錆びた銃弾が転がっていたり、自転車で不発弾らしき筒型の鉄の固まりを踏んづけて転んだこともあるので、終戦直後にはそういう物は、至るところに散乱していたと思います。

鉄の雨が降ったとか、鉄と肉の戦いとか表現されている本もありますが、沖縄戦というのはそんな激しい戦争です。

実は、姪っ子の小学校の学芸会ではただ単に戦争の激しさを伝えた内容ではなく沖縄戦の人間模様が細かく描かれていたので、全部書こうと思ったのですが、その内容があまりにも悲痛すぎるため一部割愛します。

言語に絶する悲痛な戦争のあとには、人々の目には生きる気力がなくなり、集落のリーダー達は楽しい芸能をしたり、エイサーをしたりして人々を励まし、芸能や笑いは人が元気を取り戻す力になったと描かれていました。

私は小さい頃に祖父や祖母に戦争ってどんなだった?怖かった?と聞いたことがあります。祖父や祖母は、なぜかいつも明るく優しく、戦争の話しをしてくれました。

実は私は、おじいちゃん、おばちゃんは、戦争の話しをしていても、なぜ悲しい顔をしないで明るいんだろうと不思議に思っていました。

それはただ単に私が子供だったからではなく、厳しい時代を生き抜いた人の知恵だったのではと今は思っています。

沖縄には、なんくるないさ~(なんとかなるさ)、いちゃりばちょうでい(行き交えば皆兄弟)ぬちどぅたから(命は宝)ゆいまーる精神(助け合う精神)等、先人の知恵を伝える言葉がいろいろあります。

言葉に出したことはありませんが、私は厳しい時代を生き抜いた先輩方を尊敬しています。

平和は尊いですね。美しい海、美しい空、人々の笑い声、平和は宝です。

美ら島の学芸会は、私にそう語りかけていました。

正午十二時には「世界平和の結合の祈り」があります。

これからもがんばっていきます。